2017年2月25日

「田中さんのV7classic改」(序)


この記事はフィクションです。
…というよりも、妄想です。

そのモトグッツィV7クラシックは、田中さんの店の一番奥の台に、そっと乗せられていた。
一目見ただけで、何か特別な車両なんだと、僕には分かった。
派手なカスタム臭がしているわけではない。ピカピカに光っているわけでもない。しかし、その清楚で凛とした存在感は、どこか他を寄せ付けないような、孤独な光を放っていた。
こんなカスタムバイクは、見たことがなかった。
僕は田中さんに訊いてみた。
「これは、……特別なマシンなんですか?」

田中さんと僕は、もう35年来の付き合いだ。生まれて初めて中型以上のモータ―サイクルを買ったのが田中さんのショップだった。その前は、僕は友人から安く譲り受けたDT50に乗っていた。
田中さんの店は、小さくて、店頭にバイクはせいぜい4台くらいしか置けなかった。でも奥の方の整備スペースは、店舗の2倍の広さがあり、リフト付きの整備台が2つあり、さらにその奥には、部品などを置く小さな倉庫と、一時預かりの車両などを置くやや大きな倉庫が並んでいた。

元あるメーカーの本社社員だった田中さんは、独立して、この街に小さなバイクショップを開いた。スポーツバイクを愛する田中さんは、空前のスクーターブームだった1980年代にもスクーターを置かず、メーカーの新車と持ち込まれてくる車両の整備で店を経営していた。

はじめてのモーターサイクルを買おうと決意した僕はその街中の大きなバイク屋を回り、パンフレットをもらいまくり、雑誌の記事を読みまくり、店員さんにいろいろ質問をしまくりしていたのだが、なかなか決めることができず、それでも街中を歩き続けて、うんざりするほどバイク屋を回り、もう買うのをやめようか…と思ったころ、ふと目についた田中さんの店を見つけて、中に入ったのだった。

田中さんの店に入って驚いたのは、全然バイク屋っぽく見えないことだった。
まず、床も、壁も、天井も、どこもかしこもきれいだった。

バイクがぎっしり並べられていないことにも驚いた。
本当にバイクやだろうか?

ちょっと不安になったが、入った僕を見て、田中さんは
「いらっしゃい。」
と優しい声で言ったのだった。

その声は、今まで訊いてきたさまざまなバイク屋のどの声とも違った。
元気でやんちゃな声や、客を見下したような傲慢な声、客にすり寄る慇懃な声、親しさを演出して売ろうとする過剰で演出された好意…。

そういうものとは全然違う、初めて店に入ってきた、たぶんバイクに乗ったことなどなく、買うこともないかもしれないド素人の若者に対して、きちんと敬意を払いながらも、媚もてらいもなく、見下すこともなく、ごく普通に店への歩みを受けて入れてくれた声だった。

ぼくは学生で、その日は平日だった。
秋だった。
先客がいなく、ちょうど仕事の切りがいいところだったのだろうか、田中さんは僕の話を聞いてくれ、僕の相談に乗ってくれたのだった。

それから、何回か田中さんの店を訪ねて、僕は最初のモーターサイクルを新車で買った。
カワサキの空冷4気筒のマシンだった。

時が流れ、僕は、なんとか今、モーターサイクルのメカやメンテを中心とした小さな雑誌の編集部で働き、バイクの世界に暮らしている。

田中さんの店へは、今も時々相談に行ったり、教えを受けに行ったりする。
田中さんはどうしても雑誌への掲載を拒み、メディアに出ることを嫌がるので、
紙面で紹介はできないが、田中さんのおかげで助かったことは、今までにたくさんある。



久しぶりに訪ねた田中さんの店で、奥にいたV7クラシック。僕は田中さんに尋ねたのだった。

「これは、……特別なマシンなんですか?」

田中さんは、あんまり…というかほとんど、他のお客さんの話はしない。
今回も、やんわりかわされるのか、いや、やんわりと、そういう詮索するのはよくないですよと、たしなめられるのか…とも思った。

でも聞かないでいるのには、そのマシンはあまりにも凛として、寂しげで、でも特別なものを中に秘めているように思えたのだった。

(つづく)

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