2016年6月2日

V7、積丹半島当丸峠を走る。

当丸峠は、積丹半島の真ん中を横切るように、神恵内村と古平町とを結ぶ道道998号線の、半島の背骨付近を越えるときに通る峠である。
ツーリングマップルによると標高は610m。
積丹半島は、北海道の西部にある半島で、長さは直線で30km程度。半島で一番高い山は余別岳で1298m。平地が少なく、海岸線もほとんどが崖で、川の河口付近に時々開ける平野部分に街があるという感じ。
積丹(しゃこたん)とは、アイヌ語のシャク(夏)、コタン(村)からきているという。



赤丸が積丹半島、青線が当丸峠のルート。
僕が最初に北海道に住んだ、1987、1988年ごろは、積丹半島を一周する国道229号線も未開通部分があって、海岸線を一周することは不可能。
道も狭く、崖にへばりつくように海沿いを行く道は、半島の先の遠さを思わせた。

当時、当丸峠はすでに全線舗装化され古平、神恵内間約32kmのうち、15km弱が山岳ワインディングとして相当に走り応えのあるものだった。

当時、バイクの「峠族」は手稲山や、朝里峠、オコタンぺ湖など、低速ヘヤピンが連続する道に集まり、道路を占拠する勢いで、ファミリーカーに恐怖や嫌悪感を与えていた。

当丸峠も、走り屋が来る傾向にはあったが、仲間でつるんでわいわい騒ぐ峠族というよりは、四輪、二輪ともに、切れた感じの、ぶっ飛ばす奴が来ていた感じがした。

昭和の風景だ。
事故も多かった。
北海道でも毎年500人以上が事故で命を落としていた時代だ。
(昨年の北海道交通事故死者数は、177名)

2016/5/29 13:39
5月29日の当丸峠越えは、神恵内側から古平方向へ抜けた。

神恵内の町を抜け、温泉施設をすぎると、もう民家もない。ただ、山と、道と、空だけの世界が続く。


2016/5/29 13:39
現在の当丸峠は、スノーシェルターが多い。
積雪期に雪から道を守るものなのだが、これがすごく多いのが当丸峠の特徴だ。
 
2016/5/29 13:39
 シェルターの中は採光窓が開いていて、トンネルのように暗くはない。

2016/5/29 13:40

 トンネルのように地底を通しているのではなく、地上でチューブになっているわけだから、採光窓も取れるわけだ。上に窓があるタイプもあれば、横に開いているタイプもある。

冬の凍結路面対策か、路面には溝が切ってあるところが多く、4輪ならばブー―ンと音が鳴り続け、2輪ならば、タイヤが降られ続けることになる。

溝は進行方向に直角に切られた横溝と、進行方向に沿った縦溝があるが、バイクが弱いのは縦溝の方で、ぐねぐねとすべるというか、足をとられるというか、そういう状態がずっと続く。


2016/5/29 13:41

 シェルター部分は眺望が得られず、道路の改良も進んで切通も増え、走りそのものは楽になり、通過可能速度も高速化しているが、峠全体としての眺望の開ける区間はかなり減っている。
また、谷川の流れや、崖下の谷底を眺めながらの走行も減っている。
2016/5/29 13:41

それでも、緑の風の中を走るのは、爽快だ。

カーブ一つ曲がるたびに、高度を上げていく。

2016/5/29 13:42
制限速度の標識がない。
時速60kmの風は、カウルのないV7ゆきかぜの車体をかすめて、僕の全身にあたって。
風は分厚い連続するカーテンのように、僕に当たっては後ろへ。
いや、風のカーテンを押しのけ押しのけ、僕とゆきかぜは力強く走っているのだ。
時速60km。
街中の殺気立った混雑の中ではいらいらの時速60km。
峠の時速60kmは、故郷の海の、遥か水平線の向こうから絶え間なく押し寄せる、海風の圧倒的な力感と、山の中だというのに、潮の匂いを思い出させる。

2016/5/29 13:43
一瞬前まで前方に、はじめて現れ、空気の壁とともに迫ってきた風景が、
時速60kmで後方へ、飛び去って行く。

二度とない、今。
二度とない、この瞬間、この風景。

生きている。

そのことを、混じりけなしで実感できる瞬間だ。


2016/5/29 13:43
高速の180度コーナーを抜けて、峠ももう、頂上が近い。
こんなに交通量が少ない道に、こんなに資金を投じて立派な道を作っている。
北海道の大部分は、明治以降、石炭や、木材、鰊などを本州へ運ぶ、国内「植民地」として開拓民が入り、先住民族のアイヌの人々の生活や文化を破壊しつつ成長してきた。
国策により、公共事業として土木建築工事が入り、炭鉱に人が集まり、町ができ、森を伐り開き、湿原を排水して乾燥させ、農地にし、食糧生産をしてきた。
北海道に原生林は実はあまりない。
ほとんどが森林を伐り払った後に植林したり、自然に復活してきたりした二次林だ。

北海道の風景は、この150年で急速に変わった。
この道も、僕ら旅人にありがたいこの道もその一部に過ぎない。
また、泊原発が事故を起こした場合、泊村、神恵内村の原発よりも北側の村々は原発を避けて非難しなければならず、その時にこの当丸峠が重要な避難経路となってくる。

社会的背景のない道など、存在しないのだ。


2016/5/29 13:44

空が青い。

V7ゆきかぜの2300rpmの鼓動。
力強いトルクで、ぐいぐいと坂を上っていく。

このままアクセルを開ければ、軽々と、回転計と速度計の針は真上を通過して右側へ回っていく。

まるで、この青空に飛び立っていくように。


2016/5/29 13:45

だが、当丸峠の頂上は、スノーシェルターの中で越えていくのだ。


2016/5/29 13:45

シェルター内の横溝が、フロントウィンカーを震えさせている。
V7クラシックの時は、このウィンカーステイが振動で疲労蓄積し折れることが多発。
2012年発表のモデルから、ステー部分がゴムになった。

溝の通過のコツは、「気にしないこと」。
ハンドルを抑え込まず、車体側のホールドでフロントを自由にした方がうまく走れる。

もちろん、縦溝、横溝ともに、スピードを出しすぎないことは大前提。

峠を越えて、トンネルやシェルターのつながりを走っていると、カーブの途中に当丸峠展望台の標識が出る、
トンネルの横穴から展望台に出て、また横穴からトンネルに戻るという、いいのか?というような作りの展望台だ。

2016/5/29 13:55
本当の峠ではないが、ここで休憩。

昔、何度か、ここへ走りに通った頃を思い出す。

25歳だった。

GPz400F-Ⅱ。

峠で、パールホワイトのVFR750Fに出会った。

晩秋だった。

凍えながら、ここで今、事故したら確実に死ぬと思いながら、誰も通らない当丸峠で、2台で猛烈に走ったのを思い出す。

2016/5/29 13:55
あんなふうに走ることは、二度とないだろう。

それでも、一人で走るときに比べると、セーブして走っていた。事故するわけにはいかない。
それはVFRも同じようだった。
きっと二人とも、本気では走っていない。

自分も事故したくないが、相手が事故するのを見たくない。
互いにそう思っていたのだろう。

2016/5/29 13:55
あれからもう30年が経とうとしている。

2016年5月19日の当丸峠は、明るく晴れて穏やかだった。

展望台に、スズキのスウィフト。
そして、自転車のライダーが現れ、ザックから水筒を出して喉を潤していた。

僕とゆきかぜは、少し離れて、そっとしばらく、休んでいた。

ゆきかぜの知らない峠の思い出。
ゆきかぜの知らない、若い頃の僕。

でも、直接知らなくても、ゆきかぜには、わかっているのかもしれない。

そんな気がした。

4 件のコメント:

  1. あぁ、何と言う青い空。。
    大自然の中の一本道なのですね!

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    1. tkjさん、こんにちは。
      北海道に帰ってきて毎回まず思うのは、空気がさらっとしているということと、空が広いということです。
      冬の道東の青空は、信じられないくらい青く、広いのですが、積丹も青いです。
      ちなみに積丹は海も青くて積丹ブルーと呼ばれています。

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  2. 青空がいいですね♪トウマル峠に頂上に展望台が
    あれば、無機質なシェルターも帳消しに
    なるのに惜しいですね。

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    1. いちさん、こんにちは。
      おそらく、頂上付近は樹も低く風も強くてシェルターにしないと冬季通行止めにせざるを得ないのかもしれません、泊原発がある以上、避難経路となる当丸峠は通行止めにできないと、シェルターをつくったのかもしれません。(でも、冬季は夜間通行止めになりますけども)

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